土方隆行 | |||
---|---|---|---|
1956年3月7日東京生まれ |
|||
8才の頃に兄の影響でベンチャーズを弾き始めたという。その後一家は千葉に引っ越し、中学校に入るとエレクトリック・ギターを手に入れて彼のベンチャーズ熱もこうじて行ったようだ。そして、中学3年の時に友達の家でクリームのレコードを聴いて以来、今度はエリック・クラプトンに夢中になったという。本人も言っているように、好きになるととことんのめり込むタイプらしい。 8才の頃に兄の影響でベンチャーズを弾き始めたという。その後一家は千葉に引っ越し、中学校に入るとエレクトリック・ギターを手に入れて彼のベンチャーズ熱もこうじて行ったようだ。そして、中学3年の時に友達の家でクリームのレコードを聴いて以来、今度はエリック・クラプトンに夢中になったという。本人も言っているように、好きになるととことんのめり込むタイプらしい。 やがて高校に入学した彼は、体をこわして休学になってしまったのをキッカケにミュージシャンになる決心を固め、学校を止めてしまった。これもきっと彼ののめり込む性格の表れなのだろう。そした、バイトをしながらアマチュア・バンド活動をしていたが、ひょんなことからライトミュージック・コンサートに優勝した経験を持つ”イージー・ライダース”に誘われ、そのバンドに参加した。この頃彼が狂っていたのはジェフ・ベックだったという。 その後”イージー・ライダース”はメンバーチェンジをくり返して、ついにはオリジナル・メンバーがいなくなってしまった。演奏スタイルも最初のフォーク・ロックからハード・ロックへと変身していた。 しかし、このバンドもその後すぐに解散してしまう。彼はジェフ・ベックのコピー・バンドを結成したが、これが後の”アソカ”の母体となったバンドなのだ。そして20才になった時、彼は自分の目標であるプロ・ミュージシャンにより近づくために、このバンドのヴォーカルと共により強力なメンバーを集めて新しいバンド”アソカ”をスタートさせる。 1976年のイースト・ウエスト第1回大会でグランプリに輝いた”アソカ”は現在ミュージック・シーンの第1線で活躍する有能なミュージシャンを数多く排出した。ドラマーの渡嘉敷祐一、キーボードの小林泉美、ベースの渡辺守夫他。また同じメンバーで、レコード・デビューをした小林泉美のバック・バンド”フライング・ミミ・バンド”と名乗っていたこともある。 ”フライング・ミミ・バンド”解散後は、彼はスタジオ・ミュージシャンとして仕事をするようになり、だんだんとその活動の幅を拡げていった。 そして彼は、マライアのリーダーであるサックス・プレイヤーの清水靖晃のリーダー・アルバム「マライア」でのギター・プレイが注目を集め、にわかにクローズ・アップされたギタリストだ。 そして、現在ではスタジオの仕事はもちろんのこと、”マライア”の他に、ギタリスト、松木恒秀のセッション・グループ、ジャズ・ピアニスト、増田幹夫のバンドや笠井紀美子のツアー・バンドなど多忙な活動を行う売れっ子ギタリストとなっているのだ。 彼の使用ギターは、ギブソンES-335とストラトキャスターで、335の方はストップ・テールピースに改造してある。アタッチメントは、ヤマハのデジタル・ディレイ、ボスのコーラス・アンサンブル、ショートバッドのヴォリューム・ペダル、ボスのオーバー・ドライブ、MXRのフェイズ110、ダン・アームストロング・オレンジスクィーザー、オートワウなど。 SMATH THE GLASS販促用資料より
|
|||
広告 |
|||
Copylight Studio未来来 2001-2010 |